神の武具を身に着けなさい。

2024年9月1日

エフェソ6:10 最後に言う。主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。
6:11 悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。12 わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。13 だから、邪悪な日によく抵抗し、すべてを成し遂げて、しっかりと立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。14 立って、真理を帯として腰に締め、正義を胸当てとして着け、15 平和の福音を告げる準備を履物としなさい。16 なおその上に、信仰を盾として取りなさい。それによって、悪い者の放つ火の矢をことごとく消すことができるのです。17 また、救いを兜としてかぶり、霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。18 どのような時にも、“霊”に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。19 また、わたしが適切な言葉を用いて話し、福音の神秘を大胆に示すことができるように、わたしのためにも祈ってください。20 わたしはこの福音の使者として鎖につながれていますが、それでも、語るべきことは大胆に話せるように、祈ってください。


聖パウロはローマの牢屋にいました。毎日、兵隊を見ました。自分が「福音の使者として鎖につながれています《と書きました。イエス様の証し人だったので、逮捕されました。神の国の使者として、良い知らせを述べ伝えます。それを述べ伝えたので牢屋に入れられました。

しかし聖パウロはその兵士に対して、また彼を嫉妬した敵に対して悪口を言いません。その人々に恨(うら)みをもちません。聖パウロはすべての人々を愛して、皆に救いのメッセージを話したいと思います。聖パウロは本当の敵は誰であるか知っています。あの人々ではありません。人間の血肉ではなくて、悪魔で、又は宇宙のすべての霊的な悪の力が彼の敵です。これらは神様の敵ですので、キリスト信者達皆の敵でもあります。

ですから新約聖書の中には、クリスチャン達が未信者に対して戦いなさいと言う命令がありません。聖なる十字軍は新約聖書にはありません。ヨハネの黙示録の中でさえも、キリスト信者達は反キリストの竜と戦いません。ハルマゲドンの戦いはミカエルと天のみ使いたちが戦います(黙示録16:16, 12:7)。人間の信者達は戦いません。それは天使の軍の働きだからです。

私達の毎日の生活の中で悪の力は、実に私達の周りにいる人々を通して働きます。信者達は迫害されています。人は私達の信仰を理解しません。日曜日の礼拝の時間に邪魔する活動があります。時々、神学的な論争がありますので、自分の信仰を説明し、どうしてイエス様を信じるか説明しなければなりません。本当の戦争のように感じるでしょうが、私達はキリスチャンとして、敵を愛さなければなりませんし、彼に害を与えてはいけません。左の頬をも向けなさいとイエス様は言われました。忘れないでください:私達の敵は私達に戦わないで、キリストに戦っています。彼等は神様と戦います。



れで、これは私達の戦いでありません、神様の戦いです。戦うのは神様です。そして悪魔を征朊する方法を見て下さい。イエス様を見て下さい。十字架上で死にました。そのを苦しみと恥と死から救うために、ゲツセマネの園で逮捕された時、天から天使の軍を呼びませんでした (マタイ26:53)。悪魔を征朊する方法は犠牲になるという方法でした。その犠牲は罪を赦します。私達の一番大きな弱い点とは、私達の罪です。悪魔は、その弱点を利用して私達と戦います。しかし、もしその罪が赦されていましたら、その弱点がもうありませんで、イエスキリストの力、復活の力があります。それで戦いに勝ちます。

しかし悪魔はまだまだ戦います。そして私達は、その神様と悪魔との戦いの中に入れられています。ですから神様は私達に武具の守りをくださいます。よろいの武具のようです。

エフェソ6:13 だから、邪悪な日によく抵抗し、すべてを成し遂げて、しっかりと立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。14 立って、真理を帯として腰に締め、正義を胸当てとして着け、15 平和の福音を告げる準備を履物としなさい。16 なおその上に、信仰を盾として取りなさい。それによって、悪い者の放つ火の矢をことごとく消すことができるのです。17 また、救いを兜としてかぶり、霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。18 どのような時にも、“霊”に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。

これは基本的な自分を守るよろいです。霊の剣も神様の言葉であるので、身を守る為の防御と考えられます。神様の言葉は神様の約束、愛、赦し,と守りを語るからです。聖パウロが勧める活動とは祈りです。いつも祈るように勧めます。悪魔に攻撃されたほかの人々、すべての聖なる者達の為に祈る事です。またエフェソの教会の人々が、自分の為にも祈ってほしいと聖パウロは思います。聖パウロは牢屋の中にいます。しかし、このように願いました、「6:19 また、私が適切な言葉を用いて話し、福音の神秘を大胆に示す事が出来るように、私のためにも祈ってください。20 私はこの福音の使者として鎖につながれていますが、それでも、語るべきことは大胆に話せるように、祈ってください。《それで、私達もそのように多くの人々は神様の愛を知る事が出来るように祈ります。

敵の憎しみを乗り越える方法は一つしかありません。それは愛によってです。神様の愛だけがサタンの悪を征朊する事が出来ます。神様の愛だけが私達の罪を征朊する事が出来ます。神様の愛だけが本当の信頼と信仰を起こす事が出来ます。この世の中での私達の唯一の防衛とは愛です。これがイエス様の唯一の防衛でした。

愛は本当に世界平和を作る事が出来るでしょうか。ユートピア・パラダイス・天国の夢です。すべてのキリスト信者の夢と祈りです。イエス様が世の最後の日に戻られる前に、この罪深い世の中では上可能だと私が思います。しかし世界平和、家族の中の平和、教会の中の平和、心の中の平和の為に祈り続けます。イエス様の愛と赦しと守りを知っているので、私たちの心の中には平和があります。

アーメン。

マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会


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Michael Nearhood, Pastor
Okinawa Lutheran Church


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