日本キリスト教団

 
 
2024.09.01
説教ダイジェスト
礼拝説教要約
『神の証し』
ヨハネの手紙 Ⅰ
5章6-12節

 今日の箇所は、イエス・キリストが私たちの救い主であるということを神様 が証しをされたと告げている。2000年前この世に現れた、あのイエス様が 救い主であり、この方を信じて救われる。これが本当のことだと示された。こ のことをそれぞれで改めて確認してほしいというのだ。

  イエス様は、洗礼者ヨハネからヨルダン川で洗礼を受けられた。その時、天 から神の声が響き、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と神が 宣言された。洗礼式は水を用いて行う。「水によって」とは、洗礼式によって、 神の子であることを世の人が知るようになって、という意味。

 その神の子イエス様は、十字架にかかってくださった。ご自分の体を十字架 の上に犠牲の献げ物とされた。剣がイエス様の体を刺し、血が流された。「血 によって」というのは、神の御子イエスの十字架によってという意味。
 
 イエスの洗礼(水)による神の子である証しと、十字架(血)を覚える聖餐 式による救いの証しを尊び、永遠の命に与ろうと勧めている。

  ヨハネの手紙は、このような神の証しを誤解している人たちがいるので、誤 解を正そうとして書かれた。ある人は、イエスは神の子ではなく単なる人間だ ったと言っていた。また、ある人は、イエスが十字架にかかった時、神の子は 天に帰り、抜け殻のような肉体だけが十字架にかけられていて、十字架は一人 の人間の死にすぎないと唱える人もいた。専門用語で、養子説、仮現説と呼ば れる邪説(異端)のことだ。こういう説に惑わされないで、真っ直ぐにイエス を神の子・救い主と信じていこうと勧めている。

  神の証しとは、神が隠されている真理を明らかに示される「啓示」のことで もある。例えば、大自然の中に身を置いて、様々なものを調べていると、神様 が創造されたのだという感覚を与えられる。神秘的なものを感じる。この世界 を神様が造ったということが啓示されているのだ。これを、一般啓示と呼んで いる。

  その一方で、この世界の歴史の出来事として、神の子イエスが十字架にかか って死んでよみがえって、それが私たちの救いである、神のご計画であるとい うことが啓示されている。これを、特殊啓示と呼んでいる。この特殊啓示を巡 って、ユダヤ教とキリスト教は意見が一致できないのだ。

  そもそも「神からの啓示」(証し)を、「啓示」として受け取るということ が、私たちには難しいことだ。誰でもが同じように受け取ることができるもの ではない。イエスの弟子たちは、イエスが天に昇られてから、イエスと共に過 ごした日々のことを振り返り想い起して、イエスと共に過ごした日々に神から の啓示がなされていたことに気づいたのだ。イエスと共に過ごしていた時に は、そのような思いはなかっただろう。後になって気づくのだ。「霊によって」 気づかされたのだ。
 何気なく過ごしている私たちの日々の中に、神様は御心を示しておられる。 弟子たちは、イエスと共に過ごした日々のことを人々に語り伝え、福音書を遺 し、私たちはそれを掛け替えのない神の啓示として尊んでいる。振り返って、 私たちは、この私に神様が働きかけ、関わってくださっているということをど のように感じているのだろうか。今この時にも、神が働いてくださっているこ とを信じていこう。そして、神様と共にあるこの一日を、この日々を、大切に していこう。

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