日本キリスト教団

 
 
2025.02.23
説教ダイジェスト
礼拝説教要約
『希望に生きる』
エレミヤ書31章
15-17節
 ハンセン病療養所・長島愛生園を訪れた時、患者となった母親が幼い我が子に 二度度会うことができなくなったと知り心を乱し、毎晩泣き叫んで最期を迎えた と聞いた。キリスト者詩人・島崎光正さんの母は、夫に若くして先立たれ、家族 の事情で生後2か月の光正さんと生き別れた。母は心を乱し、その後精神科に入 院し20年して最期を迎えた。このことを知った光正さんは、母への疑いを感謝 へと変えたという。母が子を思う逸話である。

  創世記35章には、イスラエルの祖ヤコブの妻ラケルが難産でベニヤミンを生 んですぐに命を落としたと記している。母ラケルは、親の愛情なく育つことを余 儀なくされた子を不憫に思い、永遠に泣き続けているとされる。ラケルの墓はエ ルサレムの北10キロほどのラマにあり、そこを通る人々は「ラケルが泣いてい る」と言い交わす。

  どんなに愛情の深い母親でも、死んでしまっては何もできなくなる。ただ悔し さが残される。そのラケルに神様が、あなたの悲しみが顧みられ、あなたの息子 たち(ユダの人々)は戻ってくる、そのように神は計らうと言われる。それは、 ルカ福音書7章で、ナインという町で、一人息子が死んで泣き続けるやもめにイ エス様が「もう泣かなくてもよい」と言われた、その時のイエスの深い慈しみを 思い出させる。イエス様は、ご自身の死をもって私たちに復活の命をもたらして くださった。神様の深い愛を示して下さった。

  イエス様は、この世にあって病人を癒し、人々を憐れまれた。憐れむという言 葉は、原語でスプラングニゾマイ、腸(はらわた)が痛むという意味。はらわた とは、女性の子宮のことだとする人もいる。つまり、イエスの憐れみは、母の愛 なのだということになる。

  バビロンに打ち負かされたエルサレムの多くの人々は、捕囚の民とされ、遠く バビロンへ連行された。エルサレムから出てすぐにラマで一旦落ち着き、長い旅 に備えて隊列を組みなおした。いよいよ故郷から引き離される、その時、自分の 子ども(エルサレムの人々)のために泣く母、ラケルが思い出された。神は悲し みの淵に突き落とされた人々を覚えながら、悲しむ母ラケルにも希望があると語 る。ユダヤの人々を必ずここに戻すと神は約束される。一時の苦しみを経て、希 望があることを示される。
 愛隣こども園
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