日本キリスト教団

 
 
2025.03.02
説教ダイジェスト
礼拝説教要約
『招かれていても』
マタイによる福音書22章
1-14節
 今日の聖書箇所は、王様が王子の結婚の宴を催し、そこに人々を招くという、イ エスの譬え話です。婚礼の宴は王様が催すのです。その国で、最高の権力を持つ人、 人々が最高の敬意を払うべき人が催すのです。王様の催す宴に行かないということ は、とても大きな罪を犯すことになりかねません。しかし、このたとえ話では、招 かれた人はだれ一人その宴に行かなかったというのです。耳を疑うことです。

  この当時の習慣では、何かの宴が催される場合は、何月何日にと招待の予告がな されました。そして、いよいよ宴の準備が整うと、「宴が始まります、お越しくださ い」と招く人が人々のもとに送られました。前もって知らされているので、無理な く出席できるということでした。しかし、このたとえ話では、前もって予告されて いた人たちですら、宴には来なかった、招きを断ったというのです。全く予想でき ない異常事態となりました。

  王様の催す結婚の宴に招かれていた人たちは、招きに応じることがなかった。こ れは、神の民イスラエルの人々が神様からの招きに応じなかったということを言っ ているです。神様は、イエス様がまだ生まれていない旧約聖書の時代に、神の民イ スラエルに預言者を何人も遣わして、神様のみ心を伝えました。神の民が弱い人貧 しい人を苦しめ、神様をないがしろにするようなありさまを嘆いて、預言者を遣わ しました。しかし、神の民は預言者を歓迎せず、迫害しました。神に立ち帰れとい う神様からの招きを、何度も断りました。そのことを、イエス様は、婚礼の宴への 招きを断るということで言われているのです。

  そして、イエス様がこの世に来られて、救い主としてお働きになり、救いにあず かり喜ぶ時を迎える準備は整っています。しかし、イエス様を救い主と認めないで いる神の民は、再び婚礼の宴への招きを断ることだと言われているのです。

  イエス様は、神の民の神様との関わりの歴史を振り替って、神の民の不従順な有 様を指摘しておられます。神様の救いに共にあずかることができる喜びの時への招 きを断ること、誰にも逆らうことのできない方に対する神の民の尋常ならない態度 を嘆いておられます。

  多くの人は神様に商売繁盛を祈ります。ご利益(ごりやく)を求めると言います。 ご利益はこの世の幸せです。この世限りの幸せです。時が過ぎればなくなるもので す。刹那的なものです。しかし、キリスト教の救いは、その人自身を、その存在自 体を、永遠に平和にします。神様が愛してくださるということを信じて、私たちの 魂は生きる力で満たされます。喜びで満たされます。そして、そのような力や喜び で魂が満たされた人は、並大抵の苦しみ悲しみでは簡単に失望することはありませ ん。

  以前、私が働いていた教会に神学部の教授が協力牧師としておられて、何度も説 教を聞かせていただくことができました。何度も繰り返し聞いた言葉があります。 「生けるしかばね」という言葉です。生きていて死んでいる。本当は死んでいるの に生きているように見える。つまり、神様の愛や救いを知らない人は魂は死んでい るのに、肉体だけが生きているのだということです。神様の愛を喜んで、救いを喜 んで、魂を満たされて生きていきましょうと呼びかけておられたのです。 あなたは本当に生きていますかと呼びかけているのです。目に見える世界でだけ 生きている、日ごとに心が安らいでいることで済ましてしまって、魂が喜び生き生 きとしているということを忘れていませんかというのです。これが、今日のたとえ 話をなさるイエス様の気持ちです。神の民に対して、イエス様に反対する人たちに 対する思いです。

 神様は喜びの時を私たちのために用意してくださっている、招いてくださってい る、しかし、それを魂の生き死にに関わるような大事なことと思いもしないで応じ ようとしない。イエス様の目の前にいる神の民、あなたがたは生けるしかばねでは ありませんかということでしょう。

 マタイ福音書10章26節「人々を恐れてはならない。・・・体は殺しても、魂を 殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのでき る方を恐れなさい。」

 この世界で一番尊ぶべき方はどなたなのか。救いの喜びをくださるのはどなたな のか。このことをはき違えると、救いの喜びはいつも手の届かない遠くにあるので す。神様は私たちの目の前に救いの喜びを備えておられます。神様を尊ぶ人から順 番に手に入れるのです。
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