日本キリスト教団

 
 
2025.03.09
説教ダイジェスト
礼拝説教要約
『新しい契約』
エレミヤ書31章
31-34節
 今日の箇所は、旧約聖書のエレミヤ書の中で最も重要な言葉です。そして、旧約聖書全体の中でも最も重要な言葉です。それは、「新しい契約」といことが記されているからです。エレミヤは「新しい契約を結ぶ日が来る」と予言していますが、これはキリスト教において成就したこと、イエス・キリストの救いの業によって成就したといわれています。「新約聖書」というのは、この「新しい契約」の書、ということを意味しています。新約という言葉はここから由来しているのです。

 聖書で言う「契約」とは、神と人間との間の契約です。聖書において、契約を交わすということは単に対応な関係を言うのではなく、むしろ神様がどれほど人間を大切に思ってくださっているか、どれひど尊んでくださっているかということを知ることでもあります。神様が人間を契約の相手にしてくださったこと、神様が契約関係に招きいれて下さったことを見逃すことはできません。どこまでも神様に主導権があります。神の愛が契約という形であらわされています。

 32節に「彼らはこの契約を破った、と主は言われる」とあります。3千年前、神の民イスラエルの民は、エジプトで奴隷にされてとてもくるしんでいました。過酷な労働に駆り出され死ぬようなつらい日々を送っていました。しかし、神はモーセを遣わして、その苦しみの地から、奴隷状態から解放しださいました。そして、シナイ半島の荒れ野を彷徨いシナイ山に行き、そこで神は神の民に十戒を授けました。これがつまり、神と神の民との契約なのです。神はご自分の民を深く愛され、人格的な相手とされ、神の愛にまぬかれたのです。契約を結んだのです。これが古い契約です。

 しかし、神の民はその契約に忠実ではなかったのです。それで、「彼らはこの契約を破った」といわれているのです。神の民は一方的に神を裏切ったのです。それでは、神と神の民、神と人間との契約はご破算になったのでしょうか。関係は終わったのでしょうか。そうではありませんでした。それが、今日のこの「新しい契約」が与えられるということで示されています。

 エレミヤがこの言葉を語った時代には、イスラエルの都エルサレムがバビロン帝国に滅ぼされ、多くの人がバビロンに連れていかれました。そういう全く望みのない時代に、エレミヤは神が新しい契約を用意いしてると告げるのです。イエス・キリストがこの世に現れ、十字架にかかり、復活されたとき、エレミヤが語った新しい契約は神と神の民との間に結ばれたのです。

 「立法を彼らの胸に授け、彼らの心にそれを記す」と言っています。エジプトから解放されてシナイ山で授かった十戒、それは二枚の石の板に記されたといいます。石の板とは、硬くて冷たいイメージです。イエス様を救い主と認めなかった、神の愛を受け容れなかった人々、律法学者やファリサイ派の人母との冷たい心を言っているように思えます。そうではなく、新しい契約は石の板に記されるのではなく、「彼らの心に記す」と言っています。

 イエスを救い主を信じる心、それが新しい契約が記された心です。神の愛、神の慈しみ、憐れを知る心です。神様の側ですべてをなしてくださり、神と人との永遠と続く契約へと神が導いて下さるのです。そのために、イエス様の十字架、よみがえり、私たちの罪が赦されることがなされるのです。イエス・キリストを救い主と真実こと、これが神と契約を交わすことです。永遠の救いに与うる関係に成るのです。

 イエス様は、十字架にかかる前、最後の晩餐の席で杯をもって「これは多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である」と言われました。イエス様が、新しい契約をもたらしてくだzさいました。私たちは神との契約に招かれ、とこしえに愛されていいるのです。
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