日本キリスト教団

 
 
2025.03.23
説教ダイジェスト
礼拝説教要約
『恵みをいただく』
エレミヤ書32章
36-42節
 エレミヤ書32章には、預言者エレミヤが王様ゼデキヤに嫌われ睨まれて牢屋 に入れられ、そして、自分の出身地であるアナトトという村の畑、つまり自分の 祖先の土地を買い取ったということが記されています。このエレミヤの不可解 な行動は、ユダヤの国はバビロンによって滅びたとしても、しかし、神様にはこ の先の計画があり、もう一度神の民が町を作って暮らす場所にしてくださるの だと信じたからなされたのです。

 土地を買い取ってから、エレミヤは神様に祈っています。神様のお考えを確か めています。神様、この国は明日にも滅びようとしています。それなのに私は土 地を買い取りました。これでよかったのですよねと。

  すると、神様は応えられました。それは全く異なる2つのことを告げています。 最初の答え(26-35)は、とても厳しい言葉でした。バビロン帝国の軍隊が、 ユダヤの町を滅ぼしてしまうと。これが神の考えだと。

  しかし、ここに至って、36節からの神様のお告げがあったのです。「しかし今 や」と神様は心の底に秘めておられたお考えを告げられるのです。神は決して自 分の民を見捨てることはしないと告げられるのです。もう一度神と民は契約を 交わす、神は民のことを新しい思いをもってご自分の民と思って関わりを始め てくださる。永遠の契約を交わしてくださる。もうこれからは、何があっても決 して神は民を見放すことはない。そして、神は民に恵みを与えてやまない。恵み を与えることを喜びとすると言われます。

  滅びても仕方ない民だ、神は厳しく向き合い、ユダヤの国は滅びるのだと神は 言われます。けれど、それがすべてではなかった。神はご自分の民を忘れず、深 い慈しみを向け続け、関わり続けてくださる。神様であり続けてくださる。恵み を与えることを喜びとし、それはいつまでも続くと言うのです。

 このような神様のお考えに、私は神の子イエスが十字架にかかり、私たちに救 いがもたらされたということを思い出します。イエス様の十字架は、一人ひとり の不信仰や罪に対する裁きです。しかし、イエスの死、十字架が私たちの罪を赦 しとりなすことなので、私たちの救い、救いの恵みを約束するのです。この箇所 でエレミヤがここに書き記すこのいきさつは、神のみ子イエス様が十字架にか かりよみがえったという歴史上の一つの出来事となって確かなことになったの です。

  神様が「恵みを与えることを喜びとする」と言われています。ならば、私は神 様の恵みをしっかりと受け取らねばと思います。それは、どうすることなのでし ょうか。神様の恵みは、私たちが気が付かないところで既に与えられているので す。神様が私たちを慈しんでくださり、善い計らいをしてくださる、救いへと招 いてくださる。それが、神様からの恵みです。私たちが神様の愛に気づくこと、 神様の導きに感謝することが、恵みを受け取ることです。

  使徒パウロは3度目の伝道旅行で、エフェソで教会の長老たちと涙の別れ、今 生の別れをしました。その時に自分の生きてきた道を振り返って、パウロ自身が どれほどイエス様の生き方に倣おうとしていたかということを語ります。主イ エス自身が、「受けるよりは耐える方が幸いである」と言われたことを思い出す ようにと、自分の身をもって示してきましたと言ったのです。

  この言葉は、イエス様の生きざまを明確に言い表しています。そして、パウロ は、神様の慈しみと恵みに気が付いて人一倍しっかりと受け取ったから、このよ うなイエスの与えることを幸いとする生き方をすることができたのです。恵み をしっかり受け取ったから、人に与えることができるのです。
 愛隣こども園
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