シロアム教会 礼拝説教要旨集 |
2025年2月 | 2日 | 9日 | 16日 | 23日 | 目次に戻る |
2025年2月23日 |
「キリストの内に」加藤豊子牧師 ヨハネの手紙一5章13−21節 |
◇ 「神の子の名を信じているあなたがたに、これらのことを書き送るのは、永遠の命を得ていることを悟らせたいからです。」(13節) 主イエスの名前を信じている、すなわちイエスがキリスト、救い主であると信じているものは、永遠の命を得ている、そのことをあなたたちに悟らせたいのだ、とヨハネは語ります。11節以下には、この命が御子の内にあること、御子と結ばれている人にはこの命があると記されています。聖書が語っていることそれは、御子イエス・キリストの内に命がある、そしてわたしたちは主イエスに結ばれることによってその命に与っているということです。その命は、いつかやがて与えられるというものではありません。「御子を信じる者は永遠の命を持つ」(ヨハネによる福音書3:36)わたしたちはイエス様を救い主として信じるときに主イエスと結ばれ、その命に与るものとされるのです。 ◇ 「何事でも神の御心に適うことをわたしたちが願うなら、神は聞き入れてくださる。これが神に対するわたしたちの確信です。」(14節) わたしたちはかつては自分中心で、自分のことを優先して考えているような者でした。しかしキリストに結ばれて歩む中で、神の御心を知り、求める者へと変えられていきます。神様の御心を第一に求めながら、わたしたちはどんなことでも祈ることができます。祈りはわたしたちに与えられた特権であり、また信仰の戦いを戦う上での武器であることを覚えます。 |
2025年2月16日 |
「神の証し」加藤豊子牧師 ヨハネの手紙一 5章6−12節 |
◇ 「この方は、水と血を通ってこられた方、イエス・キリストです。水だけではなく、水と血とによって来られたのです。」(6節) なかなか理解するのが難しいところです。水、血とは、何を意味しているのでしょうか。 ◇ 水というのは、イエス様が洗礼者ヨハネから水で洗礼を受けたられたことを指しています。そして血とは、イエス様が十字架に架かられ、わたしたちを罪から救うために血を流されたことを指しています。ここで水だけではなく、と言われているのは、イエス・キリストは水だけで来られた、と主張する人々がいたためです。彼らは、神の子イエス・キリストが、人となられた、肉体をもってこられたということを否定しました。ですから、イエス様はヨハネから洗礼を受けられたとき天より降ってこられ、そのキリストは十字架に架かって死ぬ前に天に戻ったのだと考えました。そのような考え方は、主イエスの十字架を無意味なものとしてしまいます。 ◇ 「そして、霊はこのことを証しする方です。」とあるように、水と血を通ってこられたイエス・キリストが、わたしたちの救い主であると信じる信仰は、聖霊なる神の働きによってわたしたちに与えられるものです。「聖霊によらなければ、誰もイエスを主であると告白できない。」とある通りです。 ◇ また水と血からわたしたちは、洗礼と聖餐を思いおこします。これらは、昔から教会に与えられている大切な二つの聖礼典です。わたしたちはそれらを通して神の恵みを深く知り、味わうことができるのです。 |
2025年2月9日 |
「世に勝つ信仰」加藤豊子牧師 ヨハネの手紙一 5章1−5節 |
◇ 先週の聖書箇所には「愛」という言葉が29回も登場し、「ここに愛があります。」と、主イエスを通して示された神の愛について語られました。今朝は、その神の愛によって救われたキリスト者が立ち向かう戦いというものについて語られています。 ◇ 「イエスがメシアであると信じる人は皆、神から生まれた者です。」 イエスはメシアである、すなわちキリスト、救い主であると信じる者は、神から生まれた者、神によって新しく生まれた者なのです。「生んでくださった方を愛する人は皆。その方から生まれた者をも愛します。」とあります。わたしたちは神を愛する者とされ、また神から生まれた他の兄弟姉妹をも愛する者となると語られています。 ◇ 「神を愛するとは、神の掟を守ることです。」(3節) 主イエスご自身、最も重要な掟は二つあると言われ、神を愛することと隣人を愛すること、この二つの戒めを示されました。「神の掟は難しいものではありません。」とありますが、わたしたちにとって決して容易なことではないと思わされます。 ◇ 「神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからです。」(4節) この言葉から先ず思わされることは、わたしたちキリスト者には戦いがあるということです。わたしたちを神から引き離そうとする誘惑があります。神に従うよりも自分の都合を優先したい思う誘惑があります。日々の生活において様々な葛藤、戦いに直面するのではないでしょうか。 ◇ 「あなたがたは世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」(ヨハネ16:33) わたしたちは、このキリストの勝利に与る者とされていることを心に留めたいと思います。 |
2025年2月2日 |
「神の愛」加藤豊子牧師 ヨハネの手紙一 4章7−12節 |
◇ 「神の愛」という小見出しがついていますが、4章7節以下「愛」と言う言葉は29回出てきます。こんなにも「愛」という言葉に溢れている聖書箇所は、他にはないように思います。この手紙は「互いに愛し合いなさい」というテーマを語り続けていますが、決してただ単に同じことを繰り返しているのではなく、読み進めていく内にこのテーマがさらに深められ、読み手に迫ってくるのを覚えます。特に7−10節は、クライマックスの部分と言えます。「…神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。」(10節)「ここに愛があります。」とはっきりと、高らかに宣言されています。 ◇ 「愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。」(7節) わたしたちは皆神から生まれた者、創世記1章にあるように神にかたどって、神に似たものとしてつくられたものです。「神は愛だからです。」(8節)とありますが、わたしたちはこの愛である神様に似たものとしてつくられています。それは、わたしたち人間はお互いに交わり、心を通わせる、愛し合うことのできる存在としてつくられているということです。 ◇ わたしたちお互いの愛がすべてうるわしいものであったら良いのですが、そうでないことをわたしたちは知っています。旧約聖書に登場する様々な人々、人間関係が示しているのは、いかに人は憎しみや妬みの思いに心が支配され、罪を犯すものであるかということです。愛が失われている、愛が働いていない…とのようなわたしたちの罪の現実を救うために、御子イエス・キリストはこの世に来られたのです。 ◇ 教会は、「ここに愛があります。」と語り、示す存在としてたてられています。わたしたちも互いに愛し合う者とされ、神の愛を証する者へ導いてくださいと祈りたいと思います。 |