礼拝説教要旨
だが、お前のあの弟は
聖書の中で、神様が初めて「罪」と語られたのは、創世記4章のカインとアベルの物語です。カインは、神様が弟アベルとそのささげ物に目を留められたことに怒り、顔を伏せました。そのとき神様は、「罪が戸口で待ち伏せている。罪はあなたを求めるが、あなたはそれを治めなければならない」と語られました。しかしカインは罪を治めることができず、弟アベルを殺してしまいました。ここから、罪は一人の中だけで終わらず、他者との関係を壊し、家族や共同体に破壊的な影響を及ぼすものであることが分かります。
今日の箇所に出てくる長男の姿にも、カインと重なるものがあります。放蕩の末に帰ってきた次男を、父は喜んで迎え、肥えた子牛を屠って宴会を開きました。しかし畑で働いていた長男は、その知らせを聞いて怒り、家に入ろうとしませんでした。もし長男が弟を本当に弟として見ていたなら、その帰還を喜んだはずです。しかし彼にとって弟は、もはや家族ではなく、ライバルのような存在になっていました。
長男は父に、「私は何年も仕え、言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに子山羊一匹すらくれませんでした」と訴えました。そして弟のことを「あなたのあの息子」と呼びました。確かに長男はまじめに働いていましたが、その心は父の愛を喜ぶものではなく、自分が報われることを求めるものでした。外側は忠実に見えても、内側では父を父として見ておらず、弟を兄弟として受け入れていなかったのです。
それに対して父は、「子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ」と語りました。そして、「だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだ」と言いました。父にとって、次男も長男も大切な息子でした。父は長男に、「彼はあなたの弟なのだ」と思い出させているのです。
このたとえ話は、徴税人や罪人たちがイエス様のもとに集まることを不満に思ったファリサイ派の人々に向けて語られました。イエス様は、罪人もまた神様に愛されている者であり、あなたの兄弟姉妹なのだと教えておられます。
この物語の結末は記されていません。長男が家に入り、弟と共に喜んだのか、それとも怒ったまま外に立ち続けたのかは分かりません。それは、私たち自身に問われていることでもあります。私たちは隣にいる人を、ライバルや敵として見るのでしょうか。それとも、神様に愛されている家族として受け入れるのでしょうか。
教会は、神の家族が集まる場所です。弱い人、傷ついた人、信仰が揺らいでいる人も、皆、主に愛されている兄弟姉妹です。私たちがお互いを家族として受け入れるとき、教会は赦しと回復と喜びに満ちた宴会の場となります。神様の父としての御心を知り、兄弟姉妹を憐れみ、受け入れる者へと導かれたいと願います。