【福音宣教】  惜しみなく与えてくださる神

私たちすべてのために、ご自分の御子さえも惜しむことなく死に渡された神が、どうして御子と共にすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがあるでしょうか」ロマ8:32)
 

2025年度の連合の年間主題聖句はロマ8:32が導かれています。

私たちの教会は単立教会ではなく、宗教法人「日本バプテスト教会連合」という共同体に属しています。アメリカミネソタ州に移住したスウェーデンバプテスト教会から日本に宣教師が派遣され、1986年に日本で設立されました。今年で60周年を迎え、全国で54教会、信徒数2400名を擁するプロテスタント教会です。共に協力しながら日本の福音宣教のために仕えましょう。今朝は、ロマ8:32から3つのことを心に覚えましょう。

 1. 信仰と教会の出発点は、キリストの十字架の愛から

 32節に「ご自分の御子さえ惜しまず、死に渡された方」とあるように、世界中の教会とクリスチャンたちは、「神の御子イエスキリストの十字架の死によって罪と滅びから救われた」と信じる信仰を告白しています。使徒ヨハネは、「神は実にそのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」(316)とはっきり宣言しています。

十字架で死なれたナザレのイエスこそが旧約聖書で約束されていたメシヤであるとの信仰によって、キリスト教はユダヤ教から完全に分離しました。宣教師パウロは律法をことごとく守ることによって神の前に義とされるのではなく「ただキリストイエスを信じる信仰によって義と認められるということを知ったからこそ、私たちもキリストイエスを信じたのです」(ガラテヤ216)。「私たちはこの御子のうちにあって、御子の血による贖い、すなわち罪の赦しを受けているのです。これは神の豊かな恵みによることです」(エペ17)とアジア地方で宣教し、ヨーロッパでは「私の宣べ伝えたこの福音のことばをしっかり保っていれば、この福音によって救われるのです。・・キリストは聖書が示す通り私たちの罪のために死なれたこと、また葬られたこと、また聖書に従って三日目によみがえられたこと」(1コリン152-4)と、キリストの十字架の死と復活こそが、キリスト教会が全人類に対して語り伝える「喜びの知らせ、福音」の内容であると語っています。

キリスト教会は十字架を掲げます。それは御子の十字架の死こそが、罪を憎まれるが罪人を愛してくださる神の究極の愛に極みだからです。目に見えない神の、目に見える形での愛の結晶が十字架だからです。「私たちがまだ罪人であった時、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対する神の愛を明らかにしておられます」(ロマ58)。

キリスト教会は、御子の十字架の死から、カルバリの丘で流された十字架の血潮の中から誕生したのです。私たちの信仰の始まりは神の御子イエスキリストの十字架からです。

2. すべての奉仕はキリストの十字架の愛への応答から

私たちの献身と奉仕のすべては、この十字架の愛に対する感謝から自発的に生まれます。これほどまで神様に愛されたのですから、何もしないままではおれないのです。私たちの奉仕は、十字架において示された神の愛への応答を唯一の動機にしています。奉仕しなければ天国に入ったとき神様から「何してましたか」と叱られるとか、教会の仲間からほめられたい、認められたいからなどというこの世的な人間的な動機では、途中で腰砕けになる。燃料切れになってしまうことでしょう。

「私は、ギリシヤ人にも未開人にも、知識のある人にも知識のない人にも、返さなければならない負債を負っています」(ロマ1:14)と、パウロは神の御子キリストの十字架の愛を「永遠の負債」と表現しました。負債とは借金のことです。世の中には借金をするだけして、夜逃げしたり、とんずらしたり、最悪の場合は殺人事件や傷害事件まで犯す人も出ます。借金は利子をつけてすべて完済するまでは終わりません。キリストの十字架の愛は、永遠の負債ですからとうてい返しきれません。死ぬまで返し続けよとイエス様は無茶なことを要求するお方ではありません。イエス様は私に返す代わりに、他の人々に惜しみなく与えなさい、分かちなさいと語っておられるのです。

イエス様は「1万タラントの借金(1日1万円として20万年分の給料、6000億円に相当する)を全額赦してもらった人物が、わずかばかりの借金をした相手を捕まえて首をしめて投獄をしたため、彼を厳罰に処した」(マタイ18:23-35)というたとえ話をされました。ゆるされたのだから赦しなさい、惜しみなく与えられたのだからあなたも与えなさい、返報性の法則・返礼の連鎖が生まれることを教えてくださったのです。死海には魚が住みません。ふつうの海の6倍の塩分があるからだそうです。死海にはあちらこちらから水が流れこんでくるが、まったく外に出ていかない。貯めるばかりです。ある牧師は「あなたは死海的クリスチャンではいけませんよ。岸には豊かな草花を生い茂らせ、水中には多くの魚を住まわせるガリラヤ湖的クリスチャンになりことができるのですから」と語りました(小林和夫)。

神にささげるすべての奉仕は、返そうにも返せないほどの大きな十字架の愛への感謝から尽きることなくあふれ出てくるのです。

3. 試練の時こそキリストの十字架の愛に信頼するとき

歴史を見ると世界中のどの教会もクリスチャンも、厳しい時代の嵐の中を潜り抜けてきました。

1年365日日本晴れなどという環境などはどこにもありません。中近東では「晴れの日ばかりが続けば砂漠になる」という諺があるそうです。苦難や試練にあうと、教会もクリスチャンの悩み、疲れ果て、踏ん張りがきかなくなり、つぶやきや愚痴がこぼれるようになることは否めません。完全な教会も完全なクリスチャンなどもこの世には存在しませんから、思わずつぶやいたり愚痴ったり、「神様ほんとうにおられるのですか」と疑ったりすることがあってもごくごく自然であり当然だと思います。へんに無理してかっこつけなくても大丈夫です。

でも試練の時こそ、苦しい時こそ、十字架の愛を信頼しきりましょう。32節で、神がキリストと一緒に恵んでくださるすべてのものとは、「永遠に変わらないキリストの愛」です。誰もそして何も、「キリストにある神の愛から引き離すことはできない」のです。試練や困難の大きさよりも、神の愛はさらに大きいのですから。悩みの大きさよりも十字架の愛の大きさに目をとめ、あなたの信仰を昨日も今日も明日も決して変わらない主イエスに結び付けましょう。御子さえ惜しまず与えてくださった天の父なる神は、あなたが失われることを願わず、あなたを御手の中にしっかりととらえてくださっています。

わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。

   わたしに彼らをお与えになった父は、すべてにまさって偉大です。だれもわたしの父の御手から彼らを奪い去ることはできません。」 (ヨハネ10:28-29)

この新しい1年が、十字架の愛の恵みの豊かさの中で、支えられ導かれ、励まされる日々でありますように、お祈り申し上げます。