【福音宣教】  賛美しつつ家路に帰ろう

羊飼いたちは見聞きしたことが、全部み使いの話しの通りだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った」ルカ2:11)
 

今年のクリスマスの礼拝には63名、イブキャンドルサービスには38名が教会に集われました。多くのメンバーの奉仕がささげられ、一人一人をあたたかく迎えることができたたことは喜びです。私は集まった人数よりも、このためにささげられた奉仕の豊かさのゆえに心から神様に感謝したい。

 私は21歳の時に初めて教会でのクリスマスを経験し、今年で53回目のクリスマスを迎えます。あと、何回、クリスマスを皆さんと一緒に迎えられるかなと思うと少々さみしさも覚えます。ある方が「世の人々にとってはクリスマスは年1回だけですが、心の中にイエス様をお迎えしているクリスチャンにとっては1年365日が毎日クリスマスだから、あと何回なんて数えられませんよ」と話してくれました。なるほど本当にそうだなと納得したことを思い出します。

さて、イエス様をついに捜し出した羊飼いたちは飼い葉おけの中で眠る赤子のイエス様に礼拝をささげた後、「神を崇め、賛美しながら帰って行った」(2:20)と記されています。

1. 恐れる必要はありません(210

み使いが御子の誕生を羊飼いたちに告げ知らせたとき、「恐れることはありません」(10)と最初に呼びかけました。このことばからクリスマスのドラマの幕があがりました。天使が突然現れたのですから、羊飼いたちはびっくりしました。でも驚くことと恐れることとは異なります。「驚くな」ではなく「恐れるな」と天使が呼びかけたのは、羊飼いたちの人生が「恐れに満ちていた」ことを象徴しているようです。

1)彼らは貧しく社会的にさげすまれていた最下層の人々でした。子供が演じる降誕劇の台本の中に、羊飼いたちが口々に「俺たちには住む家もない、お金もない、頭もよくない、何にもない!」と嘆く場面があり、観客は思わず笑います。羊飼いたちは生きていくうえで、経済的な不安や恐れに圧倒されていました。羊飼いの子は羊飼いとして一生を過ごします。未来も希望もない羊飼いの人生を過ごさなければならに定めにおかれていました。

2)さらにパリサイ人や律法学者たちからは、羊飼いらは、犯罪者、遊女、取税人、病人たちと同様、「罪人」と呼ばれていました。罪人と呼ばれている人々の前にいきなり神のみ使いが現れたのですから、喜ぶどころか、直感的に「やばい、裁かれる」と当然ながら思ったことでしょう。私たちも以前は、心の暗闇に包まれ、恐れにおののく人生を歩んでいたのではないでしょうか。救いとは「恐れ」からの解放とも言えます。

しかし、み使いは罪人を裁くためではなく、罪人に喜びを伝えるために、罪人を救い主の御前に招くために来られたのでした。イエス様はのちに「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく病人です。私は正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです」(マルコ217)と、むしろ彼らの友となり、みもとに招きました。

2種類の罪人が世の中にはいます 自分が罪深い愚かな人間で、自分で自分を救うことはできないと自覚をしている罪人と、自分は他の人に比べればまだましな生き方をしている、自分で自分を救うこともできると今なお錯覚をしている罪人です。「罪の増し加わるところに恵みも満ち溢れる」(ロマ527)という救いに関する逆説的真理は真実です。罪の深みのどん底に、カルバリの十字架が輝きだすのです。神の愛を人間的な失敗の中に、罪に打ち勝てない弱さのただなかに見出すとはなんという恵みでしょう。

2. 感謝と賛美をしながら家路につく

何もかも見聞きした通リだったので、羊飼いたちは神に感謝し、賛美しながら家路につきました。羊飼いたちの帰る場所はどこでしゅか。相変わらず野原でした。羊を相手に暮らす日々でした。生活面で特に変化はありません。キリストに出会った最初の人々だとニュースに取り上げられることもなく、脚光を浴びるわけでもありません。生活が少しでも楽になったわけでもありません。にもかかわらず、キリストに出会ってから、彼らの帰り道は喜びと希望と感謝に満ち足りたものとなりました。

1)私たち一人ひとりも同じです。キリストに出会うまで、キリストのもとに導かれるまで の私たちの「行きの人生」は迷い、罪深さ、不平不満、怒り、憎しみに醜くゆがんだものではなかったでしょうか。感謝することよりも、あれもほしい、これもほしい、これも足りない、あれも足りないと。神様への賛美や感謝どころか恨み節、嘆き節の日々ではなかったでしょうか。しかし、キリストに出会った帰り道は静かな喜び、平安、希望に満ちたものとなりました。

「行きと帰りで人生が大きく変わる」これが救いの喜びです。

私たちの人生は大きく2つに分けられます。キリストに出会うまでの人生とキリストに出会ってからの人生です。その出会いのきっかけは一人一人さまざまです。病気、失敗、苦悩や試練、うけた手痛い傷など、しかしまさにその瞬間こそがターニングポイント、「すべてのことを相働かせて神が最善をなしてくださった」(ロマ828)恵みの時でもあるのです。

2)「行きはよいよい、帰りは怖い」がこの世であれば、「行きはつらいが帰りは喜び」これがキリストを信じた者たちの人生です。キリストの十字架の死を目撃し意気消沈し、恐れのためにエルサレムを離れて故郷へ行こうとした2人の弟子たちは、 途上で復活したキリストと出会って語りあう中で、「心が内に燃えたではないか」(ルカ2432)と喜び勇んで、エルサレムへと帰りました。試練が待っていたとしても、そこが彼らの帰る場所だったからです。

 私たちも礼拝を終え、み言葉に満たされ、聖霊に遣わされて、それぞれの家路につきます。その帰り道は、感謝と賛美と喜びに満ちたものではないでしょうか。

新しい年も、主イエスに心からの礼拝をささげ、御霊による喜びと家族の救いを願う祈りと神様への尽きない感謝の思いで、こころ溢れて家路につく者でありたいと願います。

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」

(1テサロニケ516-18