【福音宣教】  主イエスの祈り

「お心ひとつで、わたしはきよくしていただけます。イエスは深くあわれみ、手を伸ばして、彼に触って言われた「わたしのこころだ。きよくなれ」」(マルコ1:40-41

イエス様は カペナウムの町でペテロの姑の熱病を癒し、さらに寸暇を惜しんで多くの病人たちを癒されました。 今日の箇所では当時、人々が最も恐れていた病であるヘブル語でツラート(1980年の新改訳聖書 2版ではらい病と訳されています)、今日のハンセン病の患者がイエス様の前に現れ「清くしてください」と祈り求めた出来事が記されています。もっとも、聖書は、ハンセン病を含め、さまざまな皮膚疾患を総称してツラートと呼んでいたようです。

イエス様の時代において、最も恐れられていた病の一つはハンセン病でした。1873年(明治6年)、ノルウェーの医師ハンセンによってライ菌によって発病する病気であることが解明され、1947年にはプロミンという特効薬によって完全に治療ができ、完治する病となりました。しかし、イエス様の時代には不治の病とされ、さらに神の刑罰が下された業病とみなされ、町から追放され人里離れた場所で集団生活をすることが余儀なくされました。患者たちは、何よりも宗教的な差別を受け、「穢れた者」とみなされ、律法学者たちからは「死者」とみなされたほどだったそうです

ライ菌によって神経が侵され、熱さ、冷たさ、痛さの感覚がなくなり、顔面の筋肉が麻痺をするため容貌が変化し、失明し、手足の筋肉も崩れていくという恐ろしい病でした。日本でも1907年に制定されたライ予防法によって、強制隔離が行われ、人権無視の断種手術などが本人の意思を無視して実施されました。わずか28年前の1996年になって、やっとライ予防法が廃止に至ったという現実があります。その間、差別と偏見と無知の闇の中、どれほど多くの悲劇が繰り返されたことでしょうか。インターネットの記事を読めば、心が痛みます。

1. 私の心だ、清くなれ

イエス様は彼に対して「私の心だ きよくなれ」(41)と語られました。 英語訳では I will you be clean ツラート患者はイエス様の前に進み出て、ひざまずいて「お心ならば、私をきよくすることがおできになります」(40)と告白しています。不思議な言い方です。「どうか癒してください」ではなく、「あなたが意図されるならば、私を癒すことがおできになります」 という表現です。 当時、病を癒すことができるのは、特にハンセン病を癒すことができるのは、神以外にはおられないと信じられていたため、彼はイエス様を神ご自身と認識していたことがわかります。これは懇願の祈りというよりは、信仰の告白に近いことばと受けとめることができるようです。

イエス様は第一に、彼を心の底から深くあわれまれました。「憐れむ」(41)という言葉は「はらわた」を意味し、お腹全体から突き動かされるような深い同情を指す言葉とされています。ほうとう息子が帰ってきた時に、待ちわびた父親が遠くから彼を見て「かわいそうに思って」(ルカ1520)、駆け出したと訳されていることばと同じです。
イエス様の目には彼の人生が見えたのでしょう。もし彼が少年時代から隔離されたとしたならば、 家族から切り離された孤独で悲惨な人生がイエス様には見えていたことでしょう。イエス様は病気だけをご覧になっておられるのではありません。病める人そのものを見ておられます。もっと言えば、病に奪われてしまった人生の日々、失ってしまった彼の人生そのものを深く見つめてくださっておられます。身体の痛みだけでなく、社会的な痛み 精神的な痛み それ以上に霊的な痛みに、宗教的に差別され、疎外され、非難され、「死人」扱いされて見捨てられていた苦しみをつぶさにご覧になって、心の底から痛みを共有しておられるのです。なんと深い慈しみでしょう。

にイエス様は「手を差し伸べました」(41)。 これは「ぎゅっとつかんだ」という意味だそうです。ツラート患者に触れることは絶対禁止されていました(レビ記3章)。祭司や律法学者が触れるようなことは決してありませんでした。イエス様だけが彼に手を差し伸べ、ギュッと握りしめるほどでした。彼にとってそれは何年ぶりか何十年ぶりかの人の手のぬくもりを感じる一瞬でした。

イエス様の手のぬくもりは、神の愛の温かさそのものであったと思われます。彼は人々からも社会からも隔離され、偏見と差別の中で、自分はもはや生きた人間ではなく死人扱いされ、ごみ同然扱いされ、穢れた罪人と裁かれ、神の前に生きることさえ許されていなかったのです。そんな彼でしたが、イエス様によって一人の人間として尊重され、愛され、自分自身を回復することができたことでしょう。なんという喜び、感動であったことでしょう。

番目にイエス様は「私の心だきよくなれ」と権威をもって宣言されました。神のみこころは、彼が潔くされ、癒され、救われることでした。病気からの回復ばかりでなく、彼もまた神の民イスラエルの一員として神との幸いな交わりの中に招き入れられ、再び真実に生きるものとされることでした。 彼もまたイエス様によって始められた新しい神の国、神の恵みのご支配の中に招かれ 存在し真の意味で生きるものとされたのでした。これこそが主イエスの恵みそのものといえます。

 イエス様は彼に対して「誰にも言うな」と厳しく命じられました。どうしてでしょうか。この時点でイエス様は神の国の福音の宣教をガリラヤ諸地域で始められたばかりです。もちろん神の恵みのご支配は、十字架で死なれる苦難のメシアとしての御業がその中心でした。したがって、病気を癒す力ある治療者として、人々に誤解されてしまうことをイエス様は避けられたのでした。

ところが 彼は、厳しく命じられたにも関わらず、イエス様によって癒されたことを人々に伝え始めました。彼だけでなくイエス様によって病を癒された人々はほとんど全員といっていいでしょう。イエス様の素晴らしさを口々に証しし、語り伝えました。当然と言えば当然です。イエス様によって救われた人々、癒された人々、悪霊から解放された人々は皆、口々にイエス様の素晴らしさを話したくなるのです。証ししたくなる。黙っておれないのです。黙れと言っても無理な注文です。話せなければ「歌いたく」なる、踊りだしたくなる!!ほどです。福音は救いをもたらす神の力です。 喜びをもたらす力です。命が躍動して始める力です。ですからペテロは「あなた方はイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、言葉に尽くすことのできない、栄に満ちた喜びに踊っています。これは信仰の結果である、魂の救いを得ているからです」(1ペテロ18-9)と表現しています。

イエス様は誰にも言うなと命じましたが、1人だけ話さなければならない人を示しました。それは祭司でした。当時、祭司たちはハンセン病が清められたかどうかを最終的に判断する権威を持つ人物だったからです。全身を調べて癒されたことがはっきりした時には、公の証明書を出すことができまし。そして癒された者は、モーセによって定められた感謝の捧げ物を神殿で捧げなければなりませんでした。こうしてツラート患者はイスラエル社会に、信仰の交わりの中に戻ることが許され、神殿における礼拝への参加も許されたのでした。

主イエスキリストは永遠の神の御国へと罪人を招いてくださる唯一のお方です。神を信じ、キリストを救い主と信じる人々の交わりの中に招き入れてくださるお方です。そればかりではなく、社会的な交わりの中へ、地域や家族のもとへ、新しく新生した「証し人」として送り出してくださるのです。

まとめをしたいと思います。

昨晩 インターネットで日本におけるハンセン病についていろいろ調べてみました。悲惨な現状が日本でも明治以来、悲惨な現状が繰り返されていた暗黒の歴史が記されていました。 しかしそんな中にあっても、闇の中に輝く光のように、日本のハンセン病救済の歴史の中で大きな役割を果たしたクリスチャンたちの存在がありました。群馬県の草津温泉といえば、年間30万人が訪れる観光地です。江戸時代末期にも12000人のハンセン病患者が、草津の湯は効能があるということで集って来ていたそうです。
明治
19年、感染からの自衛策と将来の町の発展のため、町の有力者たちが温泉街の中心場所から彼らを分離してしまう計画を発表しました。当時、病気治療中の病人や旅人が死亡した場合に葬られる 「投げ捨ての谷」と 呼ばれて
いる野原にハンセン病患者を移するため、明治
20年に新しく村が開かれました。

 その時、ミス メアリーヘレナ コンウオール・リーというイギリスの女性宣教師がこの地にハンセン病患者のための医療施設を建てるために招かれ、地元のキリスト教団体と協力し、尽力しました。彼女の働きは聖バルナバ ミッションと命名されました。患者からは「リー先生」あるいは「お母様」と呼ばれ慕われたそうです。彼女は明治40年(1907年)に来日し、59歳にして1916年〈大5年〉 草津にあるキリスト教団体のリーダー宿野薫から招かれました。12-3歳の少女時代に通っていた聖公会ウェルキンソン司祭によって外国宣教に生涯を捧げるように導きを受けました。必要があるところに神様は 必ず働き人を送ってくださいます。12歳の少女の心の中に、すでに遠い異国の地、日本での、しかもハンセン病患者に奉仕をしたいという志しの種を神様は蒔いてくださっていました。 59歳にして彼女はついに群馬草津の地でバルナバミッションという医療活動の道が開かれ、この地で花を咲かすように導かれたのでした。

しかも彼女の働きを支える2人の女性クリスチャンが神様によって用意されていました。日本で初めてハンセン病患者の女性医師となった服部ケサさん、もう一人は最初の看護師となり、後にナイチンゲール記章を授与された三上千代さんです。二人は三井慈善病院で研修をした仲間であり、クリスチャンとして2人ともハンセン病患者への奉仕に大きな関心と重荷を持っており、生涯の友となったのでした。 主の山に備えありです。英国と遠く離れた日本。宣教師と医師と看護師という3つの星が一つとなって、暗黒の地に神の愛を輝かせ、ハンセン病患者たちの心の闇路をあたたかく照らしたのでした。 必要があるところ、神様はかならず神の器を備えてくださいます。

主のなさることは、恵みそのものではないでしょうか。主イエスは、祈りに応えてくださる、憐み豊かなお方です。「わたしのこころだ。潔くなれ」